祇園寺について
祇園寺の歴史
祇園寺は、虎狛山日光院祇園寺と号し、当初は法相宗でしたが平安期に入り天台宗に改宗され現在に至ります。
諸所興亡があり無住の時代も長く続き、歴史を記す資料は殆ど散佚してしまいましたが、
近世になると、「武蔵名勝図会」「新篇武蔵風土記稿」「江戸名所図会」等にしばしば紹介されています。
明治期当時の住職、中西悟玄師は日本野鳥の会設立者である中西悟堂師の養父にあたり、悟堂師も、十代の多感な時期をこの祇園寺で過ごしました。悟玄師は、入寺当以前は政治家として世界各地を駆け巡り、当山住職になってからも政治活動のかたわら「週刊多摩新聞」の発刊、青年会の組織指導、三多摩地区農家への養豚の推奨等、幅広く地域貢献の活動を行いました。
また板垣退助率いる自由党の党員であったため、明治41年に自由民権運動殉難者慰霊法要を勤修し、翌41年には、板垣総裁とその領袖千余名が馬車を連ねて祇園寺境内に参集し、大演説会が催されました。その時、板垣退助の手によって植えられた二本の赤松の木は「自由の松」と称され、「板垣死すとも自由は死せず」という板垣の言葉通り、現在も天高く聳えています。
境内ご案内
本堂
昭和53年に再建され、ご本尊の阿弥陀如来像は、故澤田政廣先生が文化勲章授章の記念として、制作・寄贈されたものです。
また、調布七福神の一つ福禄寿が、幸福・金運・長寿の神として本堂に祀られ、正月7日間は、健康・商売繁盛を願う人で大変賑わっています。
水木しげる先生作の「ゲゲゲの鬼太郎」では、本堂の縁の下が妖怪の集会場として登場しており
「多摩の歴史をさぐる」の著者 大久保清次氏は、「ここは全く別天地の感がある。
昔そのままの清浄幽邃な聖域とでも謂いたくなる。背筋がどうっと寒くなるような古寺である」と、数十年前の様子を述べています。
本堂全景
本堂の外観です。
薬師堂
薬師堂は、享保年間と推定される建造物でありましたが、損傷が激しく、平成17年に再建されました。
秘仏薬師三尊は、行基菩薩の作一木三体の作で、下野日光社の薬師如来もさの一体だと伝えられています。
通称「佐須のお薬師さん」と親しまれ、眼病をはじめ諸病平癒に霊験あらたかであり、他にも厄除け、家内安全、縁結び等を願う人も多く訪れます。
御前立ちの薬師三尊は、往生要集を記し日本浄土教の祖、恵心僧都の作と伝えられ、江戸から明治時代にかけて毎月12日の縁日には、生姜市で大変賑わったといいます。
現在では、毎年9月12日に薬師大祭を行なっており、宝前に供えられた名物の目玉団子は、眼病・諸病平癒を願う参詣者に昔より大変有難く求められています。
また、十二神将、不動明王坐像、室町時代作の牛頭天王坐像が安置されています。
薬師堂全景
薬師堂全景です。
薬師堂堂内
薬師堂堂内です。
閻魔堂
桃山時代の遺構をを残す建造物でありましたが、平成22年に再建されました。
中央坐像の閻魔大王は、新宿大宗寺と兄弟閻魔と伝えらえ、両脇には十王が向き合った形で祀られています。
1月16日、8月16日に閻魔大王供が奉修されています。
閻魔堂全景
閻魔堂の全景です。
閻魔堂内観全景
閻魔堂内部の全景です。
「一生稽古」と枯山水
「一生稽古」
先代住職90世堯貫大僧正の書。
仏道はもとより、書道、茶道、華道、武道、
祇園寺縁起に基づく石庭
石庭の全体像。
石庭
この亀の甲羅のような石は、長野県相木産の亀甲石で、
また、虎狛山祇園寺の山号でもある白虎も配されている。
歌碑は、日本野鳥の会の創設者である中西悟堂師の歌
「思ふこと みな砕けゆく だゆらを 恃みつつ組む 調息の坐か」。
中西悟堂師は、祇園寺88世住職中西悟玄師の養子(甥)で、
歌碑の傍らには、鷹の彫像がある。
白虎
白虎像は、虎狛山の山号にちなんだもの。
歌碑
石庭内にある中西悟堂師の歌碑。
鷹
本尊
福禄寿
本堂内の調布七福神「福禄寿」。1月1日~31日まで特別開帳。
鉄仏僧形八幡菩薩像
鎌倉後期作の鉄造で、僧侶の姿をした八幡神。調布市指定文化財「鉄仏僧形八幡菩薩像」。
鉄仏僧形八幡菩薩像説明文
前述の「鉄仏僧形八幡菩薩像」の説明文。
薬師三尊
宮殿内は、秘仏薬師三尊(伝 行基菩薩作)、御前立は、薬師三尊(伝 恵心僧都作)。
牛頭天王懸仏
牛頭天王懸仏(室町時代)。
十二神将
薬師堂内の薬師如来の眷属である十二神将。頭には、それぞれ十二支の動物の冠が頂かれている。
不動明王
薬師堂内で、不動護摩を行ずる時の本尊。
自由の松
板垣退助伯手植えの赤松「自由の松」。
自由の松説明文
「自由の松」説明文。